第2章|なぜ、完璧なロジックは組織で負けるのか

第6節|「無駄な儀式」は不安への鎮痛剤である──非合理な熱狂を生む「雨乞いの論理」

プロジェクト・ネクサスの稼働初日。

僕は、モニターに映る「進捗率:0.5%」という数字を睨みつけていた。

すべては効率的に設計したはずだった。

慣例で行われていた関係者500人を集める「キックオフ決起会」や、物流拠点での「安全祈願祭」は、僕の強い提案によりすべて廃止となっていた。

「移動時間とコストの無駄です。目的は『方針の共有』と『安全意識の徹底』ですよね? ならば、動画配信とVRシミュレーションの必修化で十分です」

「えぇ〜、でもさぁ、やっぱり顔合わせないと……」と不満を漏らすオーナーの磯崎や、前例踏襲を主張する総務部を、僕はコスト削減効果の試算表(Excel)で説得し、ねじ伏せたのだ。

情報は100%伝達済み。マニュアルも完備。

なのに、現場は動かない。

チャットツールには、些細な確認事項が嵐のように飛び交っていた。

『本当にこの手順で進めて問題ないでしょうか?』

『万が一のエラー時の責任区分を、再確認させてください』

『念のため、本部の判断を仰ぎたく……』

ドライバーたちの動きが鈍い。彼らは「何をしていいかわからない」のではなく、**「本当にやっていいのか(アクセルを踏んでいいのか)」**を恐れているように見えた。

小さなミスが多発し、そのたびに「聞いていない」「指示が悪い」という疑心暗鬼が広がる。

「情報は完璧に渡したはずだ。なぜ彼らは、こんなに臆病なんだ?」


1. 閉ざされた扉

その夜、たまらず僕は会社を出た。

答えを求めて、足は自然と神楽坂へ向かっていた。

いつもの路地裏。『YOHaku』の重厚な鉄扉の前に立つ。

しかし、扉には小さな木の札が掛かっていた。

『本日、貸切』

「……嘘だろ」

ドアノブに手をかけるが、鍵がかかっている。

中からは微かに、楽しそうな話し声と、グラスが触れ合う音が漏れてくる。

常連客たちの貸切パーティーだろうか。

僕は扉を叩こうとして、手を止めた。

扉一枚隔てた向こう側には、温かい「輪」がある。

しかし、今の僕はその輪に入れてもらえない。

合理性で武装し、他者を排除してきた僕は、ここではただの「部外者」だった。

行き場をなくした僕は、神楽坂の石畳の路地を、あてもなく彷徨った。


2. 異様な熱気

神楽坂の中腹にある、大きな結婚式場としても使われる老舗の会館。

その前を通りかかった時、地響きのような歓声が聞こえて足を止めた。

玄関には**「〇〇建設 大規模再開発 竣工記念祝賀会」**という看板。

開け放たれたロビーには、数百人の人間が溢れかえっていた。

異様な光景だった。

仕立ての良いスーツを着た発注元の役員たちと、作業着や法被(はっぴ)を着た現場の職人たちが、肩を組んで酒を飲んでいる。

顔を真っ赤にして怒鳴り合っている者もいれば、抱き合って泣いている者もいる。

「おい! お前んとこの鳶(とび)が遅れたせいで、納期ギリギリだったんだぞ!」

「うるせえ! 最後に辻褄合わせたのは俺たちだろうが!」

「ガハハハ! まあ飲め飲め!」

カオスだ。

身分も立場も関係なく、数百人が「一つの大きな塊」になってうねっている。

合理性の欠片もない、ただのどんちゃん騒ぎ。

だが、そこには圧倒的な「熱」があった。

その時、人ごみの中から、見覚えのある白髪の男が出てきた。

少し着崩したジャケット姿の、白洲さんだった。

彼は、初老の職人風の男と親しげに握手を交わし、見送っているところだった。

「……白洲さん?」

僕が声をかけると、彼は振り返り、驚いたように目を丸くした。

「おや、鳴海さん。こんなところで」

「白洲さんが、なぜここに?」

「昔担当していた作家先生が、ここの社史を書いた縁でね。断りきれずに引っ張り出されたんだよ」

白洲さんは苦笑しながら、ネクタイを少し緩めた。

僕は会場の喧騒を指差した。

「これだけの人間を集めて、何の意味があるんですか? 酒を飲んで騒ぐだけで、生産性なんてゼロじゃないですか」


3. 雨乞いの論理

白洲さんは、会場の熱気を背に受けて、静かに言った。

「生産性はないね。でも、**『機能』**はある」

「機能?」

「古代、人々は雨が降らない時、雨乞いの踊りをした。

現代の科学で見れば無意味だ。でも、あれには重要な機能があったんだよ」

白洲さんは、会場の中で始まった「手締め」の準備を見つめた。

機能1:不安の鎮静(Anxiety Reduction)

「『これだけ全員で踊ったんだから、神様も雨を降らせてくれるはずだ』。そう思い込むことで、未来への恐怖を麻痺させ、今日を生きる活力を得ていた」

機能2:共犯関係の構築(Complicity)

「そして何より、全員で同じ釜の飯を食い、同じ恥ずかしい踊りを踊る。

それは**『もし雨が降らなくても(失敗しても)、それは踊った全員の責任だ』という空気を作る儀式**なんだ」

会場から、「伊勢音頭」の歌声が響く。

職人も、役員も、全員が声を張り上げている。

「あの現場の職人たちは、明日からまた危険な足場に登る。

彼らを支えているのは、マニュアルじゃない。

『何かあっても、この数百人の仲間がいる』という、非合理な安心感(Ritual)なんだよ」

白洲さんは僕に向き直った。

「君が切り捨てさせたキックオフや祈願祭は、まさにそれだ。

君は情報を伝えたが、『失敗しても、俺たちが守ってやる』という共犯関係を作らなかった。

だから君の部下たちは、たった一人の責任になることを恐れて、アクセルを踏めないんだ」

その時、会場の中心で「よーぉ!」という掛け声が響いた。

パン、パン、パパン。

数百人の手拍子が、完全にシンクロして夜空に響き渡る。

その振動は、僕の身体の芯まで揺さぶった。


4. 非合理な祝祭

翌日、僕は磯崎のデスクへ走った。

「磯崎、緊急で通達を出してくれ。VR研修の補講じゃない」

僕は息を切らせて言った。

「**『プロジェクト・ネクサス 出陣式』**をやるぞ」

「はあ!? お前がやめさせたんだろ? 今さら予算なんて……」

「予算は予備費を全額突っ込む。足りなければ僕のボーナスを削ってもいい。とにかく、ドライバー全員をリアルで集めるんだ。紅白幕も、だるまも、全部用意するぞ」

僕の剣幕に押され、磯崎はポカンとしていたが、すぐにニヤリと笑った。

「……へえ。鳴海ちゃんも、ようやく話がわかるようになったじゃん」

式当日。

会場は500人の熱気で満ちていた。

壇上には、プロジェクトリーダーの磯崎と、実務責任者の僕が並んで立った。

磯崎がマイクを握り、いつもの調子で現場を盛り上げる。

「みんな! 細かいことはこの鳴海ちゃんが完璧に組んでくれた! だから心配すんな!」

ドッと笑いが起きる。

そして磯崎は、僕にマイクを渡した。

僕は深呼吸をし、ロジックを一言も語らなかった。

代わりに、昨夜見たあの男たちのように、腹を割って叫んだ。

「このプロジェクトの全責任は、リーダーの磯崎と、ここにいる我々が負います!

現場で起きるトラブルは、すべて想定内です。

だから、あなたたちは迷わず、アクセルを踏んでください!」

そして、最後に行ったのは、全員での「三本締め」だった。

いい大人が500人、声を揃えて手を叩く。

「よーぉ!」

パパン、パパン、パパンパン。

その瞬間、空気が変わった。

それまでバラバラの粒子だった個人が、熱を帯びた一つの「塊」に変わったのを肌で感じた。

彼らの顔から、迷いが消えていた。

「……そうか。彼らは情報を求めていたんじゃない。**『物語の登場人物になること』**を求めていたんだ」

終了後の懇親会。

僕はビール瓶を持ち、磯崎や現場のドライバーたちの間を回った。

「頼むぞ」「任せてください」。

非効率極まりない「お酌」という儀式を繰り返しながら、僕は組織という生き物の体温を、初めて掌に感じていた。

そのビールは、どんな高級なカクテルよりも、苦くて、旨かった。

(→ 第7節|「論破」は復讐者を生む自殺行為である──敵を作らず実利をかすめ取る51対49の交渉術 へつづく)

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ごわりす

元GAFA海外勤務・外資戦略コンサル・ユニコーン企業の事業責任者を経て、『ピボット転職』を運営。年収UPのリアルやキャリア戦略、外資/コンサル/日系大手の実態を発信しています。海外テックでは新規事業やパートナー戦略、外資コンサルでは大手企業の改革支援、ユニコーンでは事業開発やマーケを担当。こうした経験をもとに、「構造を理解したキャリア設計」で年収2,000〜3,000万円を目指す方法を紹介。キャリア相談・個別アドバイス(有料)も受付中です。

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