プロジェクト・ネクサスは軌道に乗り始めていた。
だが、順調な稼働データの裏で、一つだけ真っ赤なアラートを吐き出し続けているエリアがあった。
北関東エリアを管轄する協力会社、「東(あずま)運送」だ。
配送遅延率15%。誤配送率が他のエリアの3倍。
明らかに彼らがボトルネックだった。
「契約解除ですね」
僕は冷徹に判断した。
「契約書第14条に基づき、KPI未達による即時解除が可能です。すでに代わりの配送業者もリストアップしてあります」
「ま、待てよ鳴海!」
磯崎が慌てて止めに入る。
「東社長は、先代の社長時代から30年の付き合いなんだぞ。そんなバッサリ切ったら、地元の顔役に何言われるか……」
「磯崎、これはビジネスだ。情で数字は改善しない」
僕は磯崎の抗議を却下した。
東運送は、旧態依然としたアナログ管理に固執し、こちらの導入した新システムを「使いにくい」と拒否している。
これ以上、彼らという「不純物」を許容するわけにはいかない。
僕は、東社長を本社に呼び出した。
手元には、弁護士と作成した「契約解除通知書」を用意していた。
これで終わりだ。ロジック(100%の正義)で、彼らを断罪する。
1. 復讐者の誕生
呼び出しの前夜。
僕は念のため、神楽坂の『YOHaku』に立ち寄った。
勝利の前の景気付けのつもりだった。
「へえ。30年の功労者を、切り捨てるわけだ」
白洲さんは、僕の話を聞きながら、琥珀色のブランデーをグラスに注いだ。
「切り捨てるのではありません。契約に基づく正当な権利行使です。彼らは改善の機会を何度も無視しました」
「理屈はそうだね。で、東社長をクビにして、彼は素直に『はいそうですか』と引き下がるかな?」
「引き下がるも何も、契約書にハンコが押してある以上、法的に勝ち目はありません」
僕が胸を張ると、白洲さんは悲しげに首を横に振った。
「鳴海さん。『100対0』で勝ってはいけないよ」
「……はい?」
白洲さんは、カウンターにコインを置いた。
「裁判やディベートなら、完全勝利もいいだろう。
だが、ビジネスは続くんだ。
もし君が正論という刀で、東社長のメンツをズタズタにして、100-0で叩き潰したとしよう。
彼はどうなると思う?」
「……敗北者、でしょうね」
「違う。**『復讐者』**になるんだよ」
白洲さんの目が鋭く光った。
「彼は、君と会社を恨む。地元のネットワークを使って『あの会社は冷血だ』と噂を流すかもしれない。残ったドライバーを引き抜いて、競合他社に持ち込むかもしれない。
敗者の恨み(ルサンチマン)は、君が弾き出したコスト削減効果よりも、遥かに高くつくぞ」
僕は息を呑んだ。
これまでの僕なら「そんな非合理な」と笑っていただろう。
だが、今の僕にはわかる。組織とは、感情で動く生き物だ。
「じゃあ、どうしろと? 不良債権を抱え続けろと言うんですか」
「勝てばいいんだよ。ただし、**『51対49』**でね」
白洲さんは、コインを僕の方へ少しだけ押し出した。
「実利(51%)は君が取る。
だが、メンツ(49%)は相手に残してやるんだ。
『負けたけど、顔は立ててもらった』。相手にそう思わせてこそ、本当の政治的勝利だよ」
2. 断罪の会議室
翌日午後。会議室の空気は重かった。
向かいの席には、東社長(65)が座っている。
作業着姿で、日焼けした顔には深いシワが刻まれている。頑固そうな男だ。
「……で、呼び出しってのは何だ。契約の話か?」
東社長が、不機嫌そうに腕を組む。
隣に座る磯崎は、オロオロと僕の顔色を窺っている。
僕は、手元の「契約解除通知書」に手を置いた。
これを突きつければ、終わりだ。
法的には勝てる。僕の仕事は完遂される。
だが、その瞬間、白洲さんの言葉が脳裏をよぎる。
『復讐者になるんだよ』
僕は、ゆっくりと息を吐いた。
そして、解除通知書をクリアファイルの中にしまい込み、別の資料を取り出した。
「東社長。今日は、契約解除の話ではありません」
磯崎が「えっ?」と声を上げ、東社長が怪訝な顔をする。
「……じゃあ、なんだ」
「『業務提携の深化』についてのご提案です」
僕は、新しい提案書を滑らせた。
「現在の配送遅延は、御社のシステム不慣れが原因です。
そこで、我々本部から『ITサポートチーム』を3名、御社に常駐させます。
彼らが配車計画とシステム入力をすべて代行します。
その代わり、人件費分として、委託料を10%減額させていただきます」
東社長が目を見開いた。
「……なに?」
これは、実質的な「経営権の剥奪」だ。
本部の人間を送り込み、業務のコアを乗っ取る。
しかも、委託料(コスト)は下げる。
実利(51%)は、完全にこちらが取っている。
「ですが」
僕は言葉を続けた。
「現場の指揮命令系統は、引き続き東社長にお願いしたいのです。
あの地域の地理と、ドライバーの気質を一番理解しているのは社長ですから。
あくまで『東運送』の看板で、地元の配送を守っていただきたい」
これが、相手に残す49%(メンツ)だ。
「クビ」にはしない。「主役」の座は残す。
その代わり、実権と利益はいただく。
3. 貸し借りの清算
東社長は、しばらく提案書を睨みつけていた。
額に脂汗が滲んでいる。
彼も馬鹿ではない。これが「体の良い乗っ取り」であることは理解しているはずだ。
だが、拒否すれば「契約解除」が待っていることも察している。
長い沈黙の後、東社長は大きなため息をついた。
「……わかった。ウチの若いのはパソコンが苦手でな。手伝ってくれるなら、助かる」
それは、敗北宣言だった。
だが、彼の表情に「恨み」の色はなかった。
最悪の事態(契約解除・倒産)を免れ、社長としての顔を保てたことに、安堵さえしているように見えた。
「ありがとうございます。東社長のリーダーシップに期待しています」
僕は深々と頭を下げた。
これは演技ではない。彼という「スタビライザー(地元の顔役)」を利用するための、敬意という名の儀式だ。
会議の後、エレベーターホールで東社長が立ち止まった。
「……鳴海さん、だったか」
「はい」
「あんた、噂じゃ『冷血なロボット』だって聞いてたが……意外と、話がわかるんだな」
彼は無骨な手で、僕の肩をバシッと叩いた。
「システムのこと、よろしく頼むわ。その分、ウチのドライバーにはケツ叩いて走らせるからよ」
「ええ、共にいい仕事をしましょう」
エレベーターの扉が閉まる。
僕は、自分の肩に残った痛みをさすった。
それは、敵を「復讐者」ではなく「共犯者」に変えた証だった。
4. 勝ちすぎない美学
会議室に戻ると、磯崎がへたり込んでいた。
「お、お前……マジかよ。あの頑固ジジイを、あんな丸め込むなんて」
磯崎は信じられないものを見る目で僕を見ていた。
「契約解除した方が、コスト削減効果は高かったんじゃないか?」
「短期的にはな」
僕は窓の外、東京の街を見下ろした。
「でも、彼を敵に回せば、北関東エリアの配送網が混乱するリスクがあった。
実利を取りつつ、彼に恩を売る。
今回の解決策の方が、長期的にはROI(投資対効果)が高いんだ」
僕は嘘をついた。
ROIなんて、後付けの理屈だ。
本当はただ、白洲さんの言う通りにしたかっただけだ。
「100-0で勝つのは、三流だ」
僕は独りごちた。
「51-49で勝つのが、組織の美学だ」
モニターに映る北関東エリアのアラートが、ゆっくりと消えていく。
不純物を取り除くのではない。
不純物を飲み込み、清濁併せ呑んで進む。
それが、L6(組織の正解)に至る道なのだ。
「さて、磯崎。次は財務部との予算交渉だ。
今度は、お前の『貸し』を使わせてもらうぞ」
僕はニヤリと笑った。
かつて軽蔑していた「泥臭い交渉」のリングが、今は少しだけ楽しく思えていた。
(第2章 完)
『働くあなたは、どこにいる?』は、少しの充電期間(取材・執筆期間)をいただきます。 第3章の開幕まで、しばらくお待ちください。