20代のキャリアをGAFA(Google, Apple, Facebook/現Meta, Amazonの総称)の海外オフィスで積んだ私ですが、30歳になった際に日本へ帰国し外資系の未上場テック企業(いわゆるユニコーン企業)へ転職しました。
なお、20代中盤で日系企業からGAFAへ転職したときの面接の体験談はこちらのブログで書いています。
GAFAに安住することへの危機感
子供の頃から憧れだった海外に住み、生き残っている限り毎年のように年収が半自動的に上がり、正直楽園にいるような生活を20代でおくらせてもらっていました。
ただ、事業開発といったビジネスサイドだけにとどまらず、本社での戦略的な意思決定や投資業など多くのことに挑戦したいという思いがあり、社内での異動含めて転職をしようとしたのですが、これがなかなかうまくいかない。
うまくいかないのは当然のことで、GAFA、海外で働いた経験ということで鼻が高くなっていましたが自分が転職したいと思う領域の経験がなかったわけです。
さらに、帰国子女でもない私にとっては、海外の現地での転職は一段とハードルが高かった。
とはいえ、世界で最も働きたい会社に選ばれる企業で働き、海外にいられるということも相まって、もやもやしながらもGAFAにいるという期間が1年以上続いていました。ちょうど株価も堅調で、ジュニアで入社した私がもらったストックオプションだけでも2,000万円くらいの価値になっており、このまま居続けたら金銭的にはどんどん豊かになるだろうな、とうい感覚がありました。
ユニコーン企業への転職と帰国
そんなとき、大型の資金調達をしたコンシューマー向けのテック企業が日本進出をするタイミングで、付き合いのあったヘッドハンターからマーケティング職で声をかけられました。
たまたま採用責任者の上司とも気が合い、とんとん拍子でオファーまで進みました。
そして、いただいたオファーの年収額は2,300万円。ボーナスに対するベースの割合も80%と高く、就活で失敗してブラック企業からキャリアをスタートさせ、30歳になったばかりの私にとっては悪くないオファーでした。
(通常、スタートアップはベースの割合を60%くらいにして、パフォーマンスに合わせてボーナスで給与を調整できる幅を多く残すことが多い印象をもっています。)
ただ、それでも日本に戻ることに対してネガティブな気持ちはあり悩んだでいましたが、最後は「今スグ成長できる機会」を重視して、オファーを受諾し日本に帰国することにしました。
物価・給与水準が異なる海外に長くいたため単純比較は難しいのですが、日本で年収が2,300万円を超えてくると見える世界がだいぶ変わった、という感覚は今でも覚えています。
毎月おおよそ130万円以上が手取りで振り込まれ、家賃や生活費(日本は本当に安い)を除いても100万円程度が銀行に残っていくので、投資もゲーム感覚でリスクをとれさらに資産が貯まるといった感覚です。
経験資産という最高の投資
そして、金銭的な収入アップ以上にこの転職で大きく学んだことは、経験へ投資していくことの大切さです。
基本的に次の転職は、それまでの経験の幅に大きく制約されます。GAFAで働いていようが海外で働いていようが、営業の経験しかなければ基本的にそれに関連した職にしか転職が難しい。
一方で、貴重な経験を積み、それが重なって積み上がることで、通常の人材マーケットの一般的な人材とはことなった貴重な人材として特別な報酬を得るチャンスが増えていきます。当然ながら、採用面接では質問をする面接官よりも専門性が高い経験があるため、自分が相手に教えてあげて、後は本当に転職して大丈夫かのチェックをする時間に変わってきます。そのさらに先に行くと、面接というものがなくなるでしょう。
残念ながら、それなりの有名企業で年収1,000万円代後半になると、比較的多くの人がそのポジションや企業に安住し始め、社内での昇進などは狙いつつも20代の頃に持っていた貪欲さで常によりいい企業・新しい経験を積める職種へのチャレンジをする方は少なくなるように感じています。
ただ、そこでアクセルを踏み続けて新しく価値のある経験を積んでいくと、加速度的に人材の希少性が高まります。
ピーター・ドラッカーもさまざまな書籍で21世紀では、Knowledge Capitalが最も重要になると繰り返し述べていますが、私もその通りだと日々働いてい感じます。
私の場合は、20代に狭い領域のことに長く時間を使いすぎたため、30代に全く別の業界や職種にチャレンジしようとした際、また実際にできた際とても苦労しました。
ぜひこの記事を読んでいただいた皆さんには反面教師にしていただき、「いかに可動域を広げて将来上に高くジャンプできるか」を重視して、キャリア形成を図っていただければと願っています。